2013年の3月、クラターコンサルタントのやましたひでこさんをシアトルにお迎えして、断捨離の講演会とワークショップをひらいていただいたことがありました。私の片付け道歴は長く、子供の頃から自分の部屋を片付けることで頭と心をクリアーにするという習慣があったこともあり、シアトルでの講演会後は断捨離プラクティスに拍車がかかり、5年後の現在でもミニマリズム実践者です。今では「これ本当にいる?」と「これどこにしまう?」が心の中の合言葉。自分の身の回りにあるモノと向き合うことで自分の内面と向き合うというのがお片づけプラクティス。
先日講演会の実行運営でご一緒した友人とお茶を飲む機会があり、ふとした拍子に「捨てていくってまさに意図的に生きることだよね」などという会話になりました。ひとつひとつのモノが今の自分にとって必要なのかどうなのかを意識して決断していく過程で、自分の人生を意図的に生きるトレーニングをしているわけです。意図的な選択を促す筋トレです。人生の中で一度や二度は、自分のしたいことがわからない、自分の軸が見えない、という状況に誰でも直面することはあるでしょう。そのようなときは特に断捨離が効果てきめんです。
家の中が物だらけだからといって意図的に生きてないと言っているのではありません。意図的にその多くの物と暮らす選択をしていれば、それは意図的な生き方というわけです。ただ、物は情報でありエネルギーなので、部屋の中が情報に溢れかえっていれば、その情報量を抱えるための相当な意識、思考、感情のエネルギーが消耗され、本来の軸がぶれやすくなり、そのあたりは覚悟が必要です。今の生活をもっとシンプルに軽いエネルギーで回るようにするためにも物を減らすというのは効果があります。今までは必要だったけれど、もう手放せるもの、手放した方がいいものはありますか?また、どこに何がしまっているのか忘れ去られて迷子になっているもの、片付ける場所が決まっていないホームレスになっている物はありますか?身の回りのものひとつひとつに意識を向けて、それらを大事にしながら生活でるかというのは、健康的で快適な生活の場づくりをする上でも、自分に向けての大事な問いの一つとなるでしょう。
私にとって手放しの片付け術とはは意図的に生きるプロセスでありプラクティスです。は意識的に見えているものを取捨選択していくプロセスで、自分の中にあるモヤモヤを明確にし、決断力を養うためのものとなっています。というわけで、生きている限り私の断捨離ジャーニーはまだまだ続くということになりそう。
意識的に生きるということは、まず、自分と対話し、自己理解を深め、自分にとって何が大切なのかを自覚すること。その上で自分の生活に責任を持つということ。自立して、また自律できる人生を送ること。そうすれば、他者を振り回すことなく、他者に振り回されることなく、自分を責めることなく、他者を責めることなく、また自分自身と、他者と健康的な関係を育んでいくことができるのです。
ますますシンプルに💛