みなさん、こんにちは。いかがお過ごしですか?
私の住んでいるエリアは一雨ごとに秋が深まって、町中鮮やかな秋カラーです。
さて、今回は、私のコーチングの土台となっている、ノンデュアリティの視点について、書いてみようと思います。
ーーーーーーーーー
非二元の話の中で、「私はいない」というフレーズをよく耳にします。一体どういうことなんでしょうか。
「私は、体、感情、思考の集積である」というのは幻想。
そこには何かをしている私はいない。
あるのは気づきの意識という生命エネルギー。
生命エネルギーの大海、全て起こっては消えていく波のよう。
個人不在のまま、見ること、感じること、聞くこと、味わうこと、嗅ぐこと、がただ起こっては消えていく。
思考がやってきては消えていく。
喜びや悲しみ、怒りや楽しみの感情がやってきては消えていく。
身体の感覚が現れては消えていく。
それら全てはたとえそのままにしておきたいと思っても留まることなく変化していく。
あるのは、それら全てに気づいている広大な意識のスペース。どこまでも続く空のようにその空間は無限に広がっている。
そのスペースは、宇宙さえも包み込む大いなる存在。
全てを許し受け入れるBeing。
わたしは一人の人間であり、同時にわたしは全てである。
私は生まれて死んでいくと同時に、本当は生まれてもなく死ぬこともない。
「わたしは、私の体、感情、思考の集積である」という、幻想から目覚めよう。
何も起きてないのに、さもあるかのような、一瞬ごとのはかないきらめきを体験している。それに気づくと、全てが愛おしい。
どんな痛みも苦しみもそこに起きているエネルギーの戯れであり、それを癒すことすらはかないストーリー。
そもそも全ては大いなる存在に受け入れられていて、自分はそのスペースであり、同時にその存在そのもの。
いつも気づきの意識とともに。
言葉で表現するのは限界がありますね。
大いなる存在に全てを委ね、本来のあなたを思う存分表現してみよう。全ては受け入れられ、愛されているのだから。